【2008年6月25日】
唐津藩小笠原家は前領地・陸奥棚倉(現在の福島県棚倉)にいた頃からの借金が膨れ上がり、まともなやり方では財政再建不可能な状態だった。
そこで、唐津藩ではとうとう禁じ手の「人頭税」を領民に課税した。
領内の10歳~60歳までの男女全員に日銭を課税したのだ。
さらに台風や農業被害等で領民の生活はめちゃくちゃになった。
とうとう領民は生活の苦しさから間引き・子堕ろしをし始めた。
間引き・子堕ろしには2つ問題がある。
ひとつはその方法が文字にするのをためらうくらい凄惨で、精神衛生上悪い影響を与えること。
もうひとつはこの行為が長い目で見て少子高齢化になることだ。
「これではいかん」
唐津藩主・小笠原長泰は間引き・子堕ろしをやめさせるために
赤子養育方
という役職を設置した。この役職は家老直属だ。
そして「赤子取締仕法」という新法を施行した。
赤子養育方はまず、間引き・子堕ろしがいかに残虐行為かを領民に理解させるところから始めた。
赤子養育の歌まで作詞作曲し、領内に広めた。
法で縛って罰する前に領民の心情に訴えたのだ。
そうしてから、「赤子取締仕法」の徹底を図った。
この法律は
※妊娠したら、5ヶ月目に赤子方役所に届け出ること。
※妊婦が誤って転倒したり、からだに変調があった場合は赤子方に届け出て医師や助産婦に診察させること。
※産気づいたら昼夜の別無く赤子方の担当者に届け出て医師や助産婦を呼び、村役人が産婦の家で出産に立ち会う。
※年子や双子の場合は乳の不足も考えられるので、貰い乳等の処置をする。
※死産や流産、または生まれたばかりの嬰児が死亡した場合は村役人が吟味し、その経緯を役所に届け出る。
ことから成り立っている。
罰則としては
※届け出が遅れたり、届け出をしなかった場合は3日~10日の労役刑に処する。
※間引き・子堕ろしをした場合、親は裁判にかけられ、村役人や手伝った者等に罰金刑を課す。
があった。
唐津藩では「貧困もまた間引き・子堕ろしの原因」と考え、養育米・養育金の支給をした。
出産の際に米1俵
出産後百日目に金1歩(12,500円)
出産2年目、3年目にそれぞれ米1俵
が支給された。
赤子養育方が設置されてから2年後、養育米の受給者は52人。
唐津藩の人口は約5万人。だから、この52人は決して少ない数字では無い。