【2008年12月3日】
松平出羽守宗衍。
出雲松江18万石の大名だ。
3歳で出雲一国の国持大名になった。
5歳のとき、彼は強烈な体験をする。
松江藩領内の空に、緑色の虫が大量に発生した。
「ブーン」と何とも言えない不快な羽音を立てて、この虫は松江藩領内の空を覆った。
「ああ…イナゴだ…」
領民が「もうウンザリだ」という表情をして、その虫の名前を口にした。
イナゴ。
漢字で「蝗」。
5歳の宗衍はこのとき初めてイナゴという虫の名前を知った。
そしてその虫がいかに迷惑な存在なのかも知った。
食事の膳の米の量が明らかに減ったのだ。
5歳の子供だって、おなかがすけばそのことを意識する。
7歳の年、またしても松江藩はイナゴの被害を受ける。
ただ、宗衍少年はこのときはイナゴの大群に違う感情を持った。
興奮したのだ。
緑色の虫の大群が、空を黒く染め上げる。その不気味さと異様さに心臓がバクバクしたのだ。
宗衍少年はこのときから不気味なものや異様なものに興味や関心を抱くようになった。
宗衍の頃の松江藩の財政は「こんなの、どうやったって無理」と藩内外から声が出る有様だった。
さらに江戸で流れた噂が松江藩にとどめを刺した。
「出羽守様、御滅亡」
松江藩は、もう1銭も返す力は残っていないよと、この一言で言い表したのだ。
この一言で、金貸しは誰も松江藩に貸さなくなった。
「もういいや」
宗衍は息子・治郷に家督を譲って隠居した。
隠居した宗衍は、江戸赤坂の上屋敷の一室にとんでもないことをした。
天井から壁から、全てに妖怪の絵を描かせたのだ。
宗衍はこの部屋がお気に入りになった。
妖怪のあの不気味さ、異様さが宗衍を愉快な気持ちにさせた。
それはまるで、少年の頃に見たイナゴの大群を思い出させてくれる絵だった。
だからなのか、宗衍はこれ以降松江に帰ろうとはしなかった。
3歳で松江藩主に就任してから39歳で隠居するまで、宗衍にはろくな思い出が無い。
隠居してから56歳で死去するまでが宗衍にとって充実した楽しい時間だった。
大好きな妖怪
ろくろ首。
人喰い蜘蛛。
こんな不気味なグロテスクでも、宗衍から見れば「最高の癒し系」だったのだ。