もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

鶴ヶ城公園(会津若松城)

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【2008年11月11日】

保科正之という人は会津松平家の藩祖で、秀忠将軍とおしづという女性の間に生まれた。

秀忠将軍にはお江の方という7歳年上のヒステリーママのカミサンがいた。そのせいか、秀忠将軍は恐妻家だった。

秀忠将軍が大御所家康に会いに駿府に出向いたときのことだ。

夜、秀忠将軍の寝所に茶菓子を持って若いおねえさんが入って来た。

これは「このおねえさんとチョメチョメしてもよい」ということなのだが、秀忠将軍は茶菓子を受け取ると「もうよい。下がれ」とおねえさんを帰してしまった。

このおねえさん、実は大御所家康に命ぜられて秀忠将軍の寝所に行ったのだが、こういう次第だったと大御所家康に話すといえやっサンは「律儀だなあ」と言ってゲラゲラ笑いだした。

これだけでも、秀忠将軍の恐妻家ぶりがわかる。

そんな秀忠将軍が生涯に一度、ありったけの勇気を振り絞っておしづを抱いた。

そしておしづは身ごもった。

生涯ただ一度の浮気で赤ちゃんを一発でツモったのだ。

この事態をヒステリーママのお江の方が気付いた。

「胎児もろとも殺してしまえ!」

ヒステリーママは周囲の者たちにそう命じた。

秀忠将軍もまたその動きを察知しておしづを城下の町人の家に匿った。

そうしておいて、秀忠将軍は老中・土井利勝に今後のことを相談した。

利勝自身、本当はいえやっサンの子供なのに当時いえやっサンの正室だった築山殿というヒステリーママのおかげで、胎児のまま母子もろとも土井家に押しつけられて認知もしてもらえなかったという苦い過去を引きずって生きていた。

だから利勝は「おしづとその子供はそんなふうにしたくねえなあ」と思い、秀忠将軍に「あとのことはそれがしと町奉行で何とかいたします」と言った。

やがておしづは町人の家で男の子を出産した。

町奉行が利勝に報告すると、利勝は自ら町人の家に出向いて赤ちゃんを自分の屋敷に引き取った。

が、おしづの居場所と利勝の屋敷にいる赤ちゃんのことにお江の方が気付いた。

お江の方は「赤子は大炊頭の屋敷だから無理だけど、おしづは殺せるでしょう」と執拗におしづのいのちを狙った。

秀忠将軍と利勝は母子を信州高遠の保科正光のもとに逃がすことにした。

この男の子は

保科幸松

という名前で人生を歩むことになった。

幸松はのちに正之と名を改め、18歳のとき父・秀忠と対面している。

会津藩は、ただ一度の浮気から出来た。