【2008年4月15日】
久松と書いて「きゅうしょう」と読む。
鳥取城のことだ。
鳥取城は久松山に築かれた山城で、明治に入って陸軍省が城を解体したため石垣しか残っていない。
羽柴藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の鳥取城攻めは「三木の干殺し、鳥取の渇殺し」と呼ばれ、徹底した兵糧攻めだった。
鳥取城の城兵は餓死者の人肉を食べて籠城を続ける有り様で、落城前の鳥取城は地獄絵図だった。
ただ単に空腹に苦しむだけではない。
人肉を食べることで城内に病気が流行る。
空腹と病気。
もちろん、城兵に戦う気力など残っちゃいない。
だから、兵糧攻めは戦場で流す血は少なくて済む。
が、違う意味で流血よりもヒドい地獄絵図になるのが兵糧攻めだ。
秀吉よりもずっと後、松平信綱が原城を兵糧攻めで落とし島原の乱を鎮めた。
空腹はキツいんだよ。
これは、いつの時代もいっしょ。