【2011年10月12日】
黒田官兵衛・長政の二代に仕えた忠臣だ。
太兵衛の最初の大仕事は、摂津有岡城の牢獄に幽閉されていた主君・官兵衛を救出したことだ。
有岡城の図面を手に入れた太兵衛は早速官兵衛救出に動き出すが、有岡城の警備が厳しくてなかなか救出出来ない。
しかし、有岡城内から内通者が出て城に火をかけて城門を開いた。城門から織田軍がなだれ込んで混乱している隙に、太兵衛は牢獄の官兵衛の救出に成功。官兵衛は太兵衛に担がれて有岡城外に逃れた。
この功績で、官兵衛は太兵衛を「一番信用出来る家臣」と位置付けた。
次の大仕事は、関ヶ原の際、官兵衛夫人と長政夫人を大坂から無事中津へ脱出させたことだ。
まず、太兵衛はかねてより懇意の商人・納屋小左衛門に協力を依頼した。
納屋は
「どないだ太兵衛はん、大奥様と奥方様を俵にくるんで逃がすちゅうんは?」
太兵衛は一瞬面食らったが、安全に大坂屋敷から逃がせるならそれでいいと思った。
俵にくるまれた二人は無事大坂屋敷から逃げ出した。次はこの二人を大坂から中津に逃がさなければならない。
納屋は
「そしたら今度は船荷ちゅうことにして小舟に乗せましょか?」
納屋はこう言うと、バカでかい箱2箱と逃亡用の小舟を見せた。
太兵衛は
「オレはアンタと懇意で本当に良かったよ。これで大奥様も奥方様も三成めの質に取られなくて済むぜ」
と感謝した。
そして、逃亡実行の日。
納屋の小舟は漕ぎ出したところを石田方の兵士に発見されて検閲を受けた。
石田方の兵士が「あのバカでかい箱は何だ?」と聴くと、太兵衛は
「船荷だ」
と一言だけ言った。
その一言があまりに迫力があったので、石田方の兵士は「行ってもよいぞ」と箱を改めずにそのまま通行許可を出した。
船荷の一件の報告を受けた石田家家宰・島 勝猛は
「それは船荷ではあるまい。おそらく中には甲斐守(長政)の夫人とあのびっこ(官兵衛)の夫人が入っているのであろう。ずいぶんと高値の付く船荷じゃのう」
と笑った。「あのびっこ」とは官兵衛が歩行障害者であることを指す。
二度の脱出劇をいずれも成功させた母里太兵衛。
太兵衛には長槍・日本号の逸話があることから「猛将」のイメージが付いて回るが、実際の太兵衛は大坂での脱出劇を成功させる等、「頭脳プレイ」も得意だった。