もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

和歌山城

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【2012年4月10日】

享保11年3月1日。

オランダ人馬術師・ケイヅルが江戸城で吉宗将軍と対面した。

からだを動かすことが大好きな吉宗将軍は、この面会を楽しみにしていた。

吉宗将軍はケイヅルから馬術を学びたかったのだ。

吉宗将軍は将軍職に就任して少し経った頃から、清・蘭両国に科している輸入制限に特別枠を設定している。

その特別枠とは

ハルシャ

と呼ばれる馬のために設けられた。

ハルシャとはペルシャ馬のことで、吉宗将軍はこのハルシャと日本馬を交配させて馬の品種改良を図ったのだ。

そしてついに、ケイヅルの乗馬術を見ることが出来るのだ。

吉宗将軍はにっこり笑って喜んだ。

ケイヅルは享保11年、14年、15年、20年と4回にわたって吉宗将軍の前で乗馬術を披露した。

吉宗将軍は大変満足し、享保20年の別れ際、ケイヅルに対して多額の金銀や織物を与えた。

また、ケイヅルのために隅田川で花火大会を実施してケイヅルを喜ばせた。

ケイヅルは吉宗将軍の餞別に感謝し、長崎へ向かった。

そしてオランダ行きの船に乗ったのだが…

徳川実紀』には

「蘭人の内、腹悪しき者」

と書かれている。

ケイヅルは享保20年12月5日、母国・オランダの土を踏むこと無く帰国船の中で殺害された。

その殺害犯のことを「蘭人の内、腹悪しき者」と書いているのだ。

しかし、実際は「蘭人の内、腹悪しき者」どころの話ではなかった。乗船者全員が同意のうえでケイヅルを寄ってたかって殺害し、金銀や織物を山分けしたのだ。

吉宗将軍はケイヅル殺害を知って愕然とした。

「こころのねじ曲がった連中め、何てことを…」

吉宗将軍はケイヅルと過ごした短いながらも充実した、気持ち良い時間を思い出して涙した。

そしてその悲しみの涙は怒りの涙に変わった。

「基本は人のいのち」

その考え方の吉宗将軍にとって、ケイヅル殺害は許せなかった。

翌、元文元年。

オランダ使節江戸城に来ると、吉宗将軍はケイヅルに与えたものと同じ金銀や織物を使節長に渡した。

吉宗将軍は「この金銀と織物をケイヅルの遺族に渡して欲しい」と使節長に言ったが、同時に

「もし、今度もケイヅルのようなことになったら、おまえたち(オランダ)も鎖国の対象にするぞ」

と静かな声で、しかし厳しい口調で言い放った。

吉宗将軍の脅しは効いた。

金銀や織物は無事、ケイヅルの遺族に届いた。