もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

鶴ヶ城公園(会津若松城)

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【2012年1月12日】

「婦人女子の言、一切聞くべからず」

会津藩家訓・第四条)

保科正之が何故このような条文を作成したのか?

吉宗将軍同様「基本は人のいのち」としていた正之が、何故こんな露骨な男尊女卑を家訓の条文に入れたのだろうか?

これは娘を失った悲しみが原因になっている。

万治元年7月25日。

保科正之と側室・しほの間に生まれた松姫が加賀金沢藩主・前田綱紀に嫁ぐことになり、その祝いの宴が会津藩江戸屋敷で行われた。

この宴に出羽米沢藩主・上杉綱勝に嫁いだ正之の娘・媛姫とその生母・まんが出席していた。

まんは

「私の生んだ娘は米沢30万石で、しほの生んだ娘は金沢100万石なんて納得がいかない」

と不満を抱いていた。

まんは媛姫付の老女・三好に

「松姫の膳に、毒を盛ってしまえ」

と命じた。

まんの嫉妬は異常な方向へ暴走したのだ。

異変。

それはほんのちょっとした雰囲気の変化だったが、それに気付いた者がいた。

松姫付の野村きさという女性である。

きさは運ばれて来る膳に不審を覚えた。

まんは会津藩家中でも強欲かつ嫉妬深いことで知られていた。そのためきさは「まんは何か仕掛けるかも知れない」と見ていた。

そこへ、微妙な雰囲気の変化を感じたのだ。

松姫と媛姫の前に膳が運ばれて来た。

松姫と媛姫が姉妹仲良く雑談に興じている隙に、きさは二人の膳をすり替えた。

この日の夜、媛姫は急に発病した。そして7月28日朝4時頃、媛姫はそのまま死亡した。

まんは号泣した。

正之も号泣した。

正之は上杉家へ詫びの使者を出すとともに、媛姫死亡の原因追及を始めた。

犯人はすぐに判明した。

まんは松姫を毒殺するつもりだったが、きさの機転によって我が子・媛姫に毒入り膳を食べさせる結果となったのだ。

正之は

「主犯はまん。犯行動機は媛姫と松姫とを比較した際の嫉妬。老女・三好に命じて松姫毒殺を図ったが野村きさの機転により失敗」

と「捜査結果」を結論付けた。

正之はまんに加担した老女・三好以下18名を処刑した。まんは世子・正経の生母であることから処分は免れたが、以後は遠ざけられた。

愛する娘を醜い嫉妬から失った正之。

正之は18歳で不慮の最期を迎えてしまった媛姫を思うと、やり切れない気持ちになった。

「こんな過ちは絶対繰り返さない」

会津藩家訓第四条には、正之の強い意思が込められている。