【2008年6月23日】
信濃国(現在の長野県)にはたくさんの藩があった。
松本藩もその内の1つで、小学生の頃、遠足で松本城を見た記憶がある。
水野忠直が藩主だった頃に「貞享騒動」という百姓一揆が発生した。
原因は藩財政の窮乏から松本藩がそれまで1俵=2斗5升だった年貢を1俵=3斗5升に引き上げることにしたためだ。
「3斗5升では、オラたちは死んでしまうだ」
松本藩の百姓一万人は松本城の城下に押しかけて1俵=2斗5升に戻すように訴えた。
この1俵=2斗5升というのは、近隣の高島藩や高遠藩の税率とも同じだ。
松本藩の思惑は「1俵=3斗」だった。
なので、松本藩国家老は百姓たちに
「3斗5升というのは納手代が独断でやったことで、これはけしからんことだから納手代は更迭する。これからは1俵=3斗とする」
と約束した。
納手代というのは年貢の徴収職員のことで、藩のヤクニンだ。
2斗5升がベストの回答なのだが、百姓たちもこの案をのんだ。
ただ、百姓たちも馬鹿では無いので、今回国家老が約束したことを文書にするように求め、これを証文にして城下に高札を立てさせた。
が、この高札が立った翌日、藩は一揆の首謀者・加助たちを捕らえた。
加助たちを捕らえたあと、藩は百姓たちに圧力をかけて「1俵=3斗にして下さい」と一筆書かせた。
一筆書かせることで「これは百姓の側からの要求で3斗にしたもので、2斗5升に戻す必要は無い」という体裁を作ったのだ。
加助たち17人は松本城の東北の方角にある勢高刑場で磔刑に処せられた。
加助は磔柱から城に向かって
「年貢は2斗5升、2斗5升だそォ~」
と叫んで絶命した。
本当かどうかはオレにはわからないが、明治時代に撮影された松本城は少し傾いている。
建設工事の最中、敷地内から人骨がゴロゴロ出て来た。
この骨が加助たちの遺骨だろうといわれている。