2019-11-20 菖蒲城址(菖蒲城) 城ネタ2008 【2008年6月20日】 康正2年、古河公方・足利成氏がこの城を築いた。 城の竣工が5月5日だったことから菖蒲城と名付けられた。 古河公方というのは、下総国古河(いまの茨城県古河市)に政庁を構えていたのでこう呼ばれる。 もとは相模国鎌倉に政庁を構えていたので鎌倉公方と呼ばれていたが、成氏は享徳の乱で鎌倉にいられなくなったので古河に移った。 菖蒲城は古河への防衛線として築かれた。 天正18年、徳川家康の関東御討ち入りにともない廃城となり、菖蒲城址には内藤正成が5,700石を与えられて幕末まで続いた。 内藤正成は弓の名手として知られ、三河国一向一揆・高天神城攻め・三方ヶ原の戦い等で活躍した。