【2008年5月15日】
これには、親友である藤堂高虎の推挙があったとも言われる。
ある日、嘉明と高虎が雑談をしているうちに、
「良い家臣とは、どんな家臣だ?」
という話題になった。
嘉明は、
「骨になっても持ち場を離れない者」
と言った。
責任感のことを言いたいのだろう。
嘉明自身も責任感の強い男だったから、この言葉につながった。
「滅私奉公」が根付くのは嘉明が生きた頃よりももう少しあとの話。
「ジコチューOK」の戦国時代を生き抜いて来た嘉明の口から出た言葉だけに、重みを感じる。
嘉明の加藤家は、嘉明の死後、息子の明成がトンチキ大名だったために取り潰しに遭った。
が、幕府は嘉明の生前の功績に免じ、近江水口2万石を与えた。
40万石も減らされたが、大名として加藤家は残ることが出来た。