【2008年2月11日】
以後、堀尾家三代の居城となった。
三代目の堀尾忠晴に嗣子が無かったので、お取り潰しになった。
堀尾家では忠晴の従兄弟をもって家督相続を願ったが、幕府老中・松平信綱がこれを認めず堀尾家はお取り潰しとなった。
信綱が従兄弟による相続を認めなかったのは、当然幕府大老・土井利勝の意向があった。
「外様など、あるだけ迷惑」
これが利勝や幕府中枢の考えだった。
堀尾家の後、松江には京極忠高が入封した。
もともと出雲は京極家が守護を務めていたので、戦国を経てもとの持ち主に戻った感じだ。
ところが京極忠高もまた、嗣子を残さず他界してしまう。
この後に入封した松平直政の血統が幕末まで続いた。