【2008年2月17日】
福知山城は丹波国の主要城郭のひとつだ。
福知山では明智光秀の悪口を言うと選挙に落選してしまうと、会田雄次先生が生前著書に書いている。「ホンマかいや?」って思うけどな。
福知山藩主に稲葉紀通というのがいた。
どうしようもない人格破綻者で、領民からも隣接する藩の大名からも嫌われた。
紀通は春日局の遠戚であったため、人格破綻者であってもやりたい放題が通った。
罪の無い領民を殺害したり、その他残虐行為を当たり前のようにやった。
「京極家は室町時代から続く名家、稲葉家のようなポッと出とは違う」
そんな名門意識が京極高広にあったためである。
ある時、紀通が高広に「鰤が食べたい」と鰤を所望した。
高広は突っぱねたかったが、紀通が春日局の遠戚であるため突っぱねられず、嫌々ながら大量の鰤を紀通のために用意した。
「ただ紀通に鰤を贈るのは面白くない」そう思った高広は用意した鰤の首をことごとくはねて紀通に贈りつけた。
「首無し鰤なんて縁起でもねえ」
紀通はキレた。
キレた紀通は「宮津城を攻めて京極高広の首を取る」と言い出した。
そして実際に宮津城攻めの支度を始めた。
福知山藩の領民は、
「こんなバカ殿には、もうついていけない」
と思った。
そして、かつて紀通に殺害された領民の遺族が幕府に宮津城攻めを密告した。
幕府は諸大名の勝手な軍事行動を禁止している。たとえ春日局の遠戚であっても、法度違反(法律違反)は許されない。
幕府は福知山藩改易を決断し、周辺の大名に命じて福知山城を包囲した。
紀通は福知山城から包囲軍を見ると「ウガーッ」と奇声を発して鉄砲で腹を撃ち抜いて自害した。
これは『鉄砲腹事件』と呼ばれる騒動で、稲葉家は当然お取り潰しとなった。
ただ、首無し鰤を贈りつけた京極高広もまた、悪政と家中不統一のためにお取り潰しになっている。