【2010年7月7日】
越前宰相松平忠直。
大坂夏の陣で「死ね死ね!」と大声で喚き散らしながら先頭切って豊臣軍に突撃した多血質の青年である。
真田幸村を討ち取ったのもこの青年の部隊だ。
いえやっサンはこの青年の突撃に
「どこの世の中に、大将自らが『死ね死ね!』と喚き散らしながら敵陣に突っ込むのか」
と顔をしかめて呆れた。
そして「父親の血なのかのう…」とぼやいた。
忠直の父親は結城秀康。加藤清正たち同時代の武断派大名から人気の高かった人物だ。
大坂城落城後、忠直は大きな恩賞を期待した。真田幸村をはじめ、多くの将兵を討ち取ったのが越前軍だったためだ。
忠直自身は
「百万石か、大坂藩主」
を希望していたといわれる。
しかし、いえやっサンは戦後の論功行賞で
初花
という名前の茶入れを一つ与えたっきり、あとは何も与えなかった。
「大坂藩主は無理でも、せめて領地の加増を」
忠直はそう望んだが、結局初花一つであとは何の沙汰も無かった。
「オレはあれだけ戦ったのに…」
忠直は精神に異常を来し始めた。乱暴な言動が明らかに増えた。
そこに、
おむに
という女性が現れて火に油を注いだ。
もとは美濃国(いまの岐阜県)あたりで団子の売り子をしていたのを忠直が見初めて福井に連れ帰ったもので、しばらくして忠直の側室となった。
忠直はおむにを
「越前一国と引き換えにしてもよいおなごよ」
と異常なまでに溺愛した。このことから福井ではおむにのことを「一国御前」と呼ぶようになった。
おむには、変質者だった。
人が死ぬのを見て快楽を得る正真正銘の変質者だった。
忠直はこの愛する変質者を喜ばせるためにあらゆる残虐行為をやった。
何の落ち度も無い者を福井城から突き落として殺害し、頭部がぐちゃぐちゃになるところをおむにと一緒に見物した。
また、牢に入れていた罪人を引きずり出して生きたまま刀で切り刻んで殺害した。殺害方法が残虐であればあるほど、おむには喜んだ。
そしてついに、忠直は
妊婦の腹裂き
という究極の残虐行為をした。
おむにはこれを一番喜んだ。
「この人は、もうダメだ」
忠直の正室・勝姫はとうとう息子・光長を連れて実家の将軍家に帰ってしまった。
勝姫は父・秀忠将軍に全てを話した。
「越前宰相は発狂乱心!」
秀忠将軍はそう言って忠直を豊後萩原に流罪とした。