もずの独り言・はてな版ごった煮

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姫路城

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【2010年6月29日】

松の廊下事件のあと、赤穂藩に決起の意思があったか?

あったのではないかと見られていたことが、一つの史料から伺える。

姫路市教育委員会の所蔵に『姫路城防備布陣図』というものがある。

これは、姫路城が攻撃された場合を想定して書かれた布陣図である。

攻撃された場合を想定して書くのであるから、当然「仮想敵」がいるはずだ。

布陣図から「仮想敵」を読み取る。布陣図ではわずか900人あまりで姫路城を守ることになっている。

900人。

たったの900人。

姫路藩主は自動的に15万石が与えられる。15万石の動員兵力は3,000人だ。

この布陣図の兵力から読み取れるのは、3,000人目一杯動員するほどのことは無い相手が「仮想敵」であるということだ。

900人。

これは、4万石~5万石の大名の動員兵力である。

と、すると、『姫路城防備布陣図』は4万石~5万石の「仮想敵」を念頭に置いて書かれたことになる。

そこで、赤穂藩が思い浮かぶ。赤穂藩は5万石だ。

この布陣図については「赤穂藩の軍事行動への備え」という説を唱える人が少なからずいる。布陣図の守備兵力を見たとき、それは決して奇説では無い。

赤穂藩が決起した場合、幕府からの受城使の軍勢が到着する前に赤穂城を討って出て姫路城攻撃に向かったとしても、それは全然不自然では無い。

「殿は切腹、吉良はお咎め無し」

明らかに「喧嘩両成敗」の原則から逸脱している裁定に対し、西日本の幕府のシンボルである姫路城を攻撃するのも筋の通った抗議だ。

江戸で赤穂藩がどの様に見られていたかはわからないが、地元・播磨国では赤穂藩は決起の可能性があると見られていたのだろう。

籠城には食糧等が必要になる。3,000人目一杯で動員して籠城した場合、用意すべき食糧等はかなりの量になってしまう。なので、布陣図では相手(5万石)に合わせて900人あまりとなっているのだろう。

もし、本当に赤穂藩が決起して姫路城を攻撃したらどうなっていただろうか?

姫路城が籠城戦を展開している間に援軍が来て赤穂軍を攻撃してTHE ENDだっただろう。

赤穂藩の本家・広島藩はまず赤穂軍に援軍を出さない。時代も元禄まで来ると、伊達政宗黒田官兵衛のような「謀反症候群」はいなくなっていたのだ。

ただ、本当に赤穂藩が決起して全員戦死したら、間違い無く忠臣蔵事件よりも遥かに大きな衝撃を綱吉将軍に与えただろう。