【2010年5月21日】
前田利常。
松平加賀守だとか加賀宰相様だとか呼ばれるお殿様で、加賀金沢120万石の大大名だ。
のちに越中富山に10万石、加賀大聖寺に7万石を分知したので、金沢藩は103万石となった。
前田家は由比正雪が騒動を起こすまで、いつもいつも取り潰しの危険と隣り合わせて来た。
その都度、横山長知や本多政重が江戸に赴いて取り潰しの罠を撃退したが、何せ利常は「利口」だとか「名君」だとかいう良い評判が流れていたため幕府は「いずれ潰してしまわないと」と取り潰す機会を狙っていた。
家光将軍の妹・子々姫の嫁ぎ先でさえこうなのだ。松平忠直・福島正則・加藤忠広・最上義俊が取り潰されるのもわかる話ではないか。
利常は「このまんまじゃ本当にアブナい」と思った。
利常は
「オレが江戸で馬鹿のふりをすれば、幕府の連中も取り潰しをやめるだろう」
と、江戸で馬鹿になりきることに決めた。
ある年のこと。
江戸城に登城した利常は城内で股ぐらをボリボリ掻きながら歩いた。
大の大人が、それも100万石の大大名たる人間がちんちんをボリボリ掻きながら城の中を歩くのである。
すれ違った大名たちは
「加賀さまは、おつむがどうかしておるのかのう」
と陰でクスクス笑った。
それを知った大老職・酒井忠勝が「加賀どの、ここは殿中でござるぞ」と注意すると利常は
「いやもう、痒うて痒うて。讃岐守どの、これが百万石のふぐり(睾丸)よ」
と言って股間を前に突き出すポーズを取った。
酒井忠勝はすっかり呆れてしまい、これ以降、
「あれは噂と違って、ただの阿呆だな」
と思うようになった。
また、利常は江戸在府中はわざと鼻毛を伸ばし続けた。
鼻毛ボーボーのおっさんがちんちんをボリボリ掻きながら歩くのである。江戸では誰も「利常名君説」を信じなくなった。
幕府もこれで油断し、「子々姫さまの嫁ぎ先をわざわざ取り潰すこともあるまい」と取り潰しをやめにした。
が、これはあくまで江戸での話。
金沢では誰もが認める名君だった。
そしてこの名君を横山長知・本多政重の両家老がよく支えた。
横山長知も本多政重も先代・利長からの家臣で、二人ともこころの温かい利長にだいじにされた。その恩返しを、二人の家老は利常に仕えることで果たした。
「オレ一人が笑い者になるだけで済むのなら」
前田利常、見事な大芝居だった。