もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

なめくじ長屋の里菜日記/本多政重-加賀藩家老として-

f:id:Hanzoandmozu:20191207124513j:plain

おっ!

左平次のヤツ、い~いいわし買って来たじゃねえか。ま、さすがは魚辰だな。

こんなでっぷり太ったいわしは梅干しと煮付けるに限らあな。刺身より煮付けだ。

じゃ、こいつを肴に金沢の地酒をいただくか。

こんだけたくさんいわしがあるんだ。里菜サンにも分けてやるか。

ああ里菜サン、昨日の話の続きだったな。

慶長16年だ。安房守様(本多政重)は阿虎さんと江戸へ向かった。実の親父の佐渡守様(本多正信)に「上杉をよろしく頼む」ってやりに行くためにな。

江戸への同中、安房守様一行は武蔵岩槻(いまのさいたま市)で足止めされた。足止めしたのは佐渡守様だ。佐渡守様は岩槻でものすげえ久しぶりの父子対面を果たしたんだ。

佐渡守様は安房守様夫婦に「これから黙って加賀へ行け。弾正大弼様(上杉景勝)にはワシから申しておく」って言って江戸には入れずにそのまま金沢へ行かせた。そンとき、佐渡守様は安房守様に「加賀どの(前田利長)にはこの手紙を見せればいい」って手紙一通渡した。手紙は佐渡守様が書いたんじゃ無え。書いたのは藤堂和泉守様(藤堂高虎)だ。あくまで和泉守様を通してのことだっていうふうにしたかったのよ里菜サン。

安房守様は米沢で世話ンなった山城守様(直江兼続)の顔が頭に浮かんですぐに返事出来なかった。でもな里菜サン、隣にいた阿虎さんが「あなた、加賀行っちゃいなよ。あたしも一緒に行くから。ね?」って無理矢理加賀行き決めちまった。ま、こういう時にゃ野郎よりおなごのほうがスパッと決められるってこった。面白えモンだな里菜サン。

年が明けて慶長17年。

加賀に着いた安房守様一行は利長様に和泉守様の手紙渡してな。「もういっぺん前田家で雇ってくんねえかい」って頼んだ。安房守様は関ヶ原のあと一度前田家に仕えたが、宇喜多秀家様のことがあって前田家を離れた経緯があるからな。

里菜サン、ここで和泉守様の手紙が効いてくるのよ。藤堂和泉守高虎って言やあ「外様ながらも譜代に准ずる」って権現様が大っぴらに口にするくらい権現様からも幕府からも信用厚いお方だ。そんなお方の手紙持って来たのを追い返しちゃあ江戸と加賀が上手くいかなくなる。手紙は里菜サンのお察し通り、和泉守様が利長様宛てに書いた「紹介状」だ。こいつを見ちまった以上利長様もイヤとは言えねえ。

安房守様が加賀に着いたとき、利長様は隠居してて、加賀藩前田家はまだ若い利常様が藩主だった。利常様は前回同様安房守様に3万石与えたが、利常様も利常様の取り巻き連中も安房守様を良くは思わねえ。ハッキリと言っちまえば里菜サン、利常様も取り巻き連中も安房守様を「徳川のスパイ野郎」って眼で見てたのよ。実際、そうだった。始めはな。

でもよ里菜サン、そんな「スパイ野郎」にも利長様は他の家臣と分け隔て無く接した。何かあれば酒も振る舞うし、何かにつけちゃ「金沢で不便は無いか」って気づかって声かける。里菜サン、利長様はどの家臣にも「気持ちは伝わる」って思いで接したんだ。だからこそ加賀は利家公亡きあとも一枚岩だったんだぜ。「気持ちは伝わる」。安房守様も始めは加賀藩の情報をあれこれ江戸にタレ流してたんだがな、だんだんと洩れても困ンねえ情報だけ流すようになったんだ。

慶長18年のこった。幕府は加賀藩に謀反の言い掛かりつけてな。越中一国(いまの富山県)を没収するって言って来た。こンときゃあ誰もが安房守様を疑った。「あのスパイ野郎が一枚噛んでやがるんだろう」って。安房守様は加賀に来たばかりの頃の安房守様じゃ無えぜ。安房守様は「利長公のために」って江戸行って「加賀に謀反の意思無し」ってハッキリ伝えて越中一国を守り抜いた。これで加賀の連中の大半が安房守様を信じるようになったのよ。またこンときに利長様が2万石加増した。大名の家臣に5万石だぜ里菜サン。ここまで来ると安房守様も「絶対に前田家を守り抜く」ってえ気持ちにならァな。

慶長19年の5月20日のこった。利長様が亡くなられた。52歳だった。亡くなる少し前のことだ、里菜サン。利長様は病床に安房守様を呼んでな。こンとき利長様は「利常を頼む」とは言わずに「備前様のこと、済まなかった」って小さく頭ァ下げた。おつむの回転が早ええ安房守様はすぐに気づいた。「こうやって頭下げりゃあオレがわだかまり無く利常様に仕えられるだろう」って。利長様は慶長8年の宇喜多秀家様江戸引き渡しのことを詫びたんだ。10年も前の話だが、安房守様がいっぺん加賀を離れる理由になった件だからな。

病床を出たあと、安房守様は「利長様、あんたって人は…」って涙が止まらなかった。利長様は最期まで「気持ちは伝わる」を貫いたんだぜ。

利長様が亡くなられてすぐあと、大坂の陣が起きた。

豊臣家がきれいさっぱり滅んで、ありゃあ確か年号が寛永になった頃だな。

江戸から金沢に手紙が2通届いたんだ。1通は幕府から加賀藩宛て、もう1通は家光公から安房守様宛てよ。その、家光公から安房守様宛ての手紙をえれえ気にしたお方がいてな。

横山山城守長知様。利長様子飼いの加賀藩家老よ。

横山様と安房守様は大坂落城からの親友でな。横山様は家光公の手紙の中身を知ってたんだ。「14万石与えるから、幕府に戻って来い」ってな。

横山様は「安房どの、徳川に戻るのか」って安房守様を睨み付けた。これは家老同士のことじゃ無え、親友同士のことだ。実際、安房守様は迷ってた。里菜サン、年号が寛永になってもなお、前田家には安房守様を「このスパイ野郎」って口汚く罵るヤツがいてな。横山様もそれをよく知ってた。でもよ里菜サン、横山様は親友を徳川に帰したくねえんだ。

「水臭えじゃねえか!安房どのをスパイ野郎って言うヤツがいるなら、その喧嘩ァオレが請け合うぜ。だからずっと加賀にいてオレと一緒に働こうぜ」ってな。安房守様を睨む横山様の眼にゃあ涙がいっぱいだった。

「見損なうなよ」そう言って安房守様は家光公の手紙を火鉢にくべた。安房守様は眼の前の親友の顔と利長様の「備前様のこと、済まなかった」って頭ァ下げた姿が重なったのよ。

安房守様も眼にいっぱい涙ためながら「オレァ加賀に残るぜ横山どの。だからそこにあるもう1通の手紙のこと話せよ」ってな。加賀に残るとハッキリ言い切った安房守様に横山様は「これだ安房どの。加賀から四国全土に国替えを打診して来やがった」ってその手紙渡した。

里菜サン、幕府はな、前田家を加賀・能登越中から四国全土に淡路島付けて国替えにしようとしたんだ。そんな話、前田家としちゃあお断りだ。だがな、まともにお断りだってやっちまうといくさになっちまう。

安房守様は横山様に「山城守どの、こんなこと思いつくの幕府ン中じゃあの化け物だけだ」って言った。化け物ってえのは御大老土井利勝)のこった。安房守様は横山様に「あんな化け物の相手出来るのはオレしかいねえよ。だからオレが江戸に行く。山城守どの、留守頼むぜ」って言って江戸に乗り込んだ。

ま、あとは安房守様の独壇場だ。喧嘩にさえなんなかったぜ。安房守様は御大老に「冬の金沢で120万石相手にシビレる籠城戦になってもいいんだな?大炊頭サンよォ」って啖呵切った。ビビった御大老は国替えの話を引っ込めた。

「山城守どの、スッキリしたぜ」江戸城を出た安房守様にゃあ横山様と利長様のことで胸がいっぱいだった。気持ちは伝わるんだ、里菜サン。

「気持ちは伝わる」

利長様と横山長知様。

安房守様は加賀で良き主君に出会って良き親友を得た。

正保4年6月3日。

本多安房守政重様、死去。享年68。

前年の1月に横山様が亡くなられてるから、本当にあとを追うように亡くなられた。

そのすいーとぽてとはいわしのあとの「でざーと」だ。

里菜サン、また。