【2010年1月4日】
龍馬についての知識が乏しいというか、幕末全般に知識が乏しいので、龍馬のことは書かない。
その代わり、気象に関係のある話を一つ書く。
土佐藩に
日和見師
という役職があった。
何故藩で気象予報士を置かなければならなかったのか?
それは土佐藩が漁業と材木の輸送が盛んだったことによる。
土佐藩は江戸時代を通して漁業が盛んだった。
かつお漁にくじら漁。
また、土佐は材木が豊富で、それを船に積んで各地を回った。
が、土佐の海は
「板子一枚、下は地獄」
という厳しい自然の海だ。溺死・漂流・行方不明。そんな話は土佐には数多くある。
そこで土佐藩は日和見師という役職を置いた。船の事故での死者を減らすためだ。
今の時代とは科学技術がまるきり違う。「天気予報は当てて当たり前」かも知れないが、当時は月に15日当てれば「合格点」だった。それでも、1ヶ月がほぼ28日だったこの時代、15日も当てられればそれは大したものだった。
日和見師は早朝、浦戸城跡の山に登って気象予報をした。
浦戸の山のてっぺんで風向きと雲の流れ方を基にその日の天気を割り出すのだ。
そして、それを漁村に伝える。天気が悪くなりそうなら漁は中止。こうして海で死ななくてもいいいのちをいくつも救った。
ところが同行した日和見師は毎日毎日的外れな予報を出した。
藩士が「おまえ、こんなんじゃダメだ」とダメ出しすると日和見師は
「私は毎朝浦戸の山のてっぺんで風と雲を読みます。低いところでは風と雲を読めません」
と予報を外し続ける理由を釈明した。
それでも日和見師の的中率は高かった。
一番成績の良かった日和見師の的中率は年間70%。科学技術が全く発達しなかった時代に、この数字は驚異的である。