【2011年10月26日】
寛永5年1月。
因幡鳥取藩主・池田光政と播磨姫路藩嫡子・本多忠刻の娘・勝姫が結婚した。
この結婚、光政の望まない結婚だった。そのため結婚当初、この夫婦は最悪の夫婦仲だった。
大名のような階級社会での結婚では、妻は実家の「看板」を背負って嫁ぐ。
「嫁しては夫に従い」というのは妻の実家の家格が夫の家の家格よりも劣る場合に当てはまる言葉だ。
池田家と本多家。
外様国持と譜代の名家。
しかし、勝姫は秀忠将軍の養女として嫁いだ。
「将軍の娘は、嫁しても臣下の礼を取らず」
勝姫はその態度で夫・光政に臨んだ。
加えて、勝姫の実母は秀忠将軍の長女・千姫なのだ。かかあ天下確定である。
光政はイヤでイヤでしょうがなかった。「不愉快な気持ちにならないためには接しないのが一番」
光政は必要最低限の挨拶だけは欠かさなかったが、あとは接触を持たなかった。
しかし、寛永8年、この夫婦に転機が訪れる。
勝姫が疱瘡にかかったのだ。
最初、光政は藩医に任せっきりにして関心を持たなかった。
しかし、幕府から「勝姫様の御病状やいかに?」などと聴かれてもいいように光政は勝姫の様子を見に行った。
光政の目の前にいたのは秀忠将軍の養女では無くて、病気で苦しむ一人の女性だった。
何かをうわごとのように口にし、手を震えさせている。
「オレが間違っていた!許せ!!」
光政は大声で叫んで勝姫を力一杯抱きしめた。
光政は藩医に「今日より先はオレが看病する。おまえたちは手を出すな」と言った。
勝姫はこの夫を見て考え方を変えた。
もともと光政は心の優しい男だった。頑固なところがあるため誤解されがちだが、優しくて温かい男なのだ。
寛永9年。
岡山はかつて、光政の父・池田利隆が治めていた土地だ。父親を慕い続けた光政にとっては嬉しい国替だった。
嬉しい国替だったが、光政は「何故、こんな厚遇を…」と疑問に思った。
その疑問は、勝姫の実母・千姫が解いてくれた。
「光政どの、娘から聴きましたよ。岡山への国替を望んでおられたとか。『自分をだいじにしてくれた人だから、くれぐれも』と言われましてね」
勝姫なりの恩返しだった。
勝姫は千姫を通して幕府を動かしたのだ。
これ以降、光政と勝姫は360度どこから見てもおしどり夫婦になった。