もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

なめくじ長屋の里菜日記/小田切尚足と村上舎喜

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また里菜サンそんなに持って来たのかよ!?

確かにその「すいーとぽてと」はうめえんだがよ、そいつ食っちまうと酒飲めなくなっちまうんだよ。しょうがねえなあ。

へ?

長屋の表にヘンテコな女の子が突っ立ってるって?

ああ、ありゃあ気にしねえでくれ。

ありゃあな、敦子っていって斜め向かいの長屋の畳屋の万五郎親方の娘だ。ありゃあガキの頃からトンチキでな、家でやること無くなるとああやって空っぽの鍋持って「食いもんよこせ」って来るんだよ。

おい敦子!

こっちにゃお客さんが来てんだ!

あとでてめえの分と万五郎親方の分の茶碗蒸し左平次に持たせてやるから、おめえはさっさと帰えれ!

さ、今日はどこのハラキリお大名の話をすりゃあいいんで、里菜サン?

へ?

田切備中(小田切尚足)様?

何かこう、この長屋に来る連中はみんな「まにあっく」でいけねえな。

田切様は松江藩の家老だ。藩の勝手方(財政担当者)だった。

田切様は出羽守様(松平宗衍)に登用されて勝手方を任された。出羽守様は3歳で出雲松江18万6000石を相続なさってな。ま、3歳なんで幕府からは「宗衍成長までは越前松平家一門で藩政を監督し、必要事項の決定は家老連署(合議制)でもって決めよ」って命ぜられた。その後19歳になった出羽守様は藩政監督・家老連署が外れて御直捌(藩主親政)を始めた。これが里菜サン、松江藩延享の改革の始まりだ。

延享4年、小田切様は家老に就任して勝手方を預かった。吉宗公を手本にあれこれ改革したんだがな、上手くいかなかった。理由は2つだ。1つは里菜サンの時代にゃ想像つかねえかも知れねえが、オレたちの時代、特に西日本は蝗害がたびたびあった。「蝗」は「いなご」って読む。里菜サン、覚えといてくんな。

この蝗害が松江藩ではたびたびあった。蝗が稲を食い尽くす。年貢は上がって来ねえ。これで松江藩は万年貧乏だ。もう1つはな、ま、どこの藩でもそうなんだが、改革には「抵抗勢力」がいるんだよ。「昨日知ったゼイタクを、今日捨てろとは無理さ」って言やあ里菜サンにもわかりやすいんじゃねえのかな。

結局、小田切様は勝手方を任されて5年で罷免だ。ただな里菜サン、これは泣く泣くの罷免だ。出羽守様は改革のやる気も熱意も捨てちゃいなかった。

田切様の罷免で延享の改革が停まっちまった松江藩にとどめが刺さるのが罷免の8年後の宝歴10年だ。この年、幕府は叡山の国役普請(公共工事)をお命じになった。国役普請なんて外様の国持なんかにやらすモンなんだけどな、どういうワケか幕府は御家門大名の松江藩にお命じになった。

普請の中身は叡山の山門の修築なんだがな、松江藩にゃあそんな普請を請け負えるだけのゼニなんざありゃしねえ。出来なきゃ半知(石高半減)やお取り潰しの「ぺなるてぃー」が待ってる。と、ここでだ里菜サン、出羽守様は何も出来ずにオロオロしてる重臣連中に「おまえたちにカネの工面が出来ないのなら、小田切備中を復職させる」って宣言したのよ。藩の「ぴんち」を逆手に取って改革に必要な小田切様を復権させた。出羽守様、なかなかの切れ者だぜ。重臣連中は何も出来ねえから小田切様の復権にも文句一つ言えねえ。こうして小田切様は8年ぶりに松江藩の勝手方を再び預かることになった。

でもよ里菜サン、こン時の松江藩はもう虫の息だった。叡山の普請費用を借りようにもな、江戸や大坂の商人はみんな断っちまう。虫の息の藩にゼニなんざ貸したら貸し倒れになっちまう。それにな里菜サン、江戸でも大坂でも松江藩については「出羽守様御滅亡」って噂が流れてた。だから江戸も大坂も松江藩にゼニ貸す商人がいなかった。

そこで小田切様はてめえの家来の村上舎喜ってえオッサンに「もうまともな方法でゼニはつくれねえから、おまえちょっと何とかして来い」って命じた。この村上ってえオッサンは面白れえ人でな、「清貧に甘んじて一生終えるなんざ話になんねえ」って金貸しやら貸家やら牧場やらをやってゼニ儲けしてた。武士なのにな。里菜サンの時代で言う「現実主義者」ってえヤツだ。

村上のオッサンは「まともなやり方でダメなら、まともじゃないやり方でやるんですよ」って笑った。小田切様も「まともじゃないのはおまえじゃなきゃ出来ねえからな」って笑い返した。

里菜サン、村上のオッサンは江戸でも大坂でも無え、尾道に行ったんだ。尾道備後国(いまの広島県)だ。備後にゃ鞆の津があるから、商人も多くいた。村上のオッサンは尾道商人に目ェ付けた。ただ、尾道にも「出羽守様御滅亡」の噂が流れてるから、村上のオッサンは一計案じた。村上のオッサンはな、ド派手・金ピカの身なりで尾道に乗り込んだ。尾道商人は村上のオッサンを見て「あれならゼニ貸しても貸し倒れしねえな」ってカネ出した。

こうして国役普請のカネを工面した小田切様は藩内での地位を不動のものにした。出羽守様はその後隠居しちまうが、息子の治郷様の代でも引き続いて小田切様は勝手方を預かって見事松江藩財政を建て直した。

「ぴんち」を「ちゃんす」に変えた国役普請と小田切様の復権。出羽守様の代では出来なかったが治郷様の代で財政建て直しを成し遂げた。出羽守様は「ぴんち」を「ちゃんす」に変えて治郷様に「ばとん」を渡した。出羽守様は悪評も多いお方だが、次に「ばとん」を渡す役割りも果たしたんだ。

ああそうだ。

里菜サン、あのド派手・金ピカの村上のオッサンな、あのオッサン、カネの工面の功績で小田切様の家来から松江藩の直臣に取り立てられたんだぜ。村上のオッサンの子孫は松江藩直臣として明治まで続いたのよ。

しかしまあ、毎日毎日「すいーとぽてと」を食ってると、しょっぱいモンも食いたくなるな。

里菜サン、また。