もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

和歌山城

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【2009年12月9日】

伊達小二郎。

紀州藩勘定奉行・伊達宗広の六男として生まれた。

小二郎9歳の時、父・宗広が失脚し一家離散の憂き目に遭う。

以後、15歳まで小二郎は貧乏のどん底の中で流浪の生活を送った。このへん、羽柴藤吉郎に似ている。羽柴藤吉郎も養父・竹阿弥の虐待に耐えかねて諸国を流浪した。

小二郎は15歳の時、こんな詩を詠んだ。

朝誦暮吟十五年

飄身漂白難船に似たり

他事争い得ん鵬翼の生ずるを

一挙に雲を排し九天に翔けん

「九天に翔けん!」

小二郎は自分に喝を入れて江戸にのぼった。

和歌山から江戸へは道中働きながら旅費と生活費を稼いだ。

江戸に着いた小二郎は攘夷浪人・伊達小二郎となった。

小二郎は痩せてて背が低く、そのためか剣術もダメ、柔術もダメだった。

そこで小二郎が思いついたのが

脚力

だった。

駆けっこのことだが、要は逃げ足のことである。

小二郎は江戸の雑踏の中を走り抜ける訓練(?)をし、ついにはどんな人混みの中でもサッと駆け抜ける脚力を身に付けた。

友人が「おまえ、そんなのがどこで役に立つんだ?」と馬鹿にしたように言うと小二郎は

「オレは非力で喧嘩には勝てん。だがこれなら早く逃げられる」

と言った。

勝てぬ喧嘩で斬られていのちを落とすより、このほうがずっといい。小二郎なりの「合理主義」である。

この「合理主義」がのちに「カミソリ」のあだ名のもとになった。

ハタチのとき、小二郎は上京する。父・宗広が京の粟田口で暮らしていたからだ。宗広は京で勤皇の公家や志士と付き合っていた。その中に坂本龍馬がいる。京で小二郎は坂本の魅力にとりつかれた。

「オレも龍さんと一緒に働きたい!」

伊達小二郎20歳。

坂本龍馬29歳。

坂本は小二郎に

「神戸海軍操練所に入門すればええがじゃ」

と言った。

神戸海軍操練所。

勝 海舟の塾である。

勝は小二郎に

「おまえさん、攘夷小僧なんだって?」

と聴いた。

「攘夷小僧」という言い方にカチンと来た小二郎は「攘夷は正しい!」と言い返すと勝は

「じゃあ何でてめえは江戸の人混みン中で逃げ足鍛えてたんだよ、オイ?」

と小二郎を睨みつけながら言った。

「あっ!?」

ここで小二郎は日本が攘夷など出来ない現状を悟った。

「これからよろしくな」

勝はニッコリ笑った。

伊達小二郎。

のちの陸奥宗光である。