もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

姫路城

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【2009年10月1日】

酒井雅楽頭忠恭。

家重将軍の首席老中だ。

が、姫路藩主になったのは首席老中を罷免されたあとのことだ。

家重将軍は、気に入らない老中職はいとも簡単にクビにした。

将軍に就任してすぐ、松平乗邑を罷免した。

乗邑の罷免に関しては大御所吉宗のGOサインがあったので例外的な要素があるが、西尾忠尚のように単に「気に入らない」という理由で罷免された者もいた。

酒井忠恭の場合は、ちょっと違う。

酒井忠恭が首席老中だった頃、肥前佐賀藩御家騒動が発生した。

佐賀藩主・鍋島宗教を隠居させて御家を乗っ取ろうとする計画があった。

これを計画したのが佐賀藩支藩蓮池藩主の鍋島直恒だった。

直恒は宗教を隠居させて宗教の弟・主膳を佐賀藩主にしようとしたのだ。直恒はこの計画に忠恭を引き込んだ。

老中職の人間が大名の御家騒動に関係するケースは幾つかあり、佐賀藩のケースもその幾つかのうちの一つだった。

鍋島直恒は忠恭に

「藩主・宗教は藩主の器ではありません。このままでは佐賀が滅んでしまいます。どうか雅楽頭様のお力添えを…」

と、たんまり「袖の下」を渡して御家乗っ取り計画に引き入れた。

鍋島宗教は江戸で謹慎処分となった。「袖の下」をたんまりもらった忠恭が宗教を謹慎処分としたのだ。

「謹慎の次は藩主交代。ウヘヘヘ…」

直恒はヨダレをたらして事の推移を見守った。

が、悪が栄えた試し無し。佐賀藩家老・諫早茂行がこの謹慎処分について調査を始めたのだ。諫早は直恒の悪だくみを突き止めて幕府に訴え出た。

幕府側でも宗教謹慎処分の経緯を調査し、諫早の調査内容と一致したことから宗教の謹慎処分は解かれた。そして今度は酒井忠恭に対する調査が始まった。

忠恭を叩いたら、ホコリが出た。

酒井雅楽頭、朝鮮通信使接待に絡む汚職あり

出て来たホコリは家重将軍の目に止まった。

家重将軍はいつものセリフを口にした。

「おまえはクビ!」

忠恭は首席老中を罷免され、上野前橋から播磨姫路に国替えとなった。

人事の面ではこの国替えは左遷なのだが、酒井家の家臣の中には前から姫路転封を望む声があり、酒井家から見れば「損して得取った」ような部分もあった。

一方、鍋島直恒は悪事発覚後に江戸屋敷で変死した。

直恒の死は「銀札騒動」のあとに同じく変死した佐竹義明に通じるものがある。