もずの独り言・はてな版ごった煮

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松本城

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【2009年9月29日】

今の松本城の原型を作ったのが松平直政

直政は越前中納言結城秀康の三男だったが、母親の身分が低かったために家臣の朝日重政に預けられた。認知しなかったのだ。

直政6歳のとき、父・秀康が死んだ。

10歳のときに祖父であるいえやっサンと謁見し、徳川家の一員として認知された。

直政は長兄・松平忠直の部屋住みとなった。大坂の陣が起こると、直政も出陣して手柄を立てたいと思ったが、部屋住みの身分のため軍資金が無かった。

直政の家臣に神谷兵庫という者がいた。

神谷は直政の気持ちを察し、西本願寺から2千両(1億5千万円)もの大金を借りて来た。このカネが直政の未来を開いた。

直政はこのカネで軍備を整え大坂冬の陣に兄・忠直の配下として出陣した。

直政は真田幸村が築いた「真田丸」を攻撃し、名を挙げた。

夏の陣にも出陣し、「死ね死ね」と喚き散らして敵陣に斬り込む忠直のもとで奮戦した。

夏の陣は大量の死傷者が出る激戦だった。

戦場にあまり慣れていない直政はさすがに足がすくんだ。

飛び散る血液。

転がり落ちる首。

夏の陣の凄惨さは「真田丸」攻撃の比では無かった。

足がすくむ直政を励ましたのは武藤太兵衛という家臣だった。

武藤はいきなり直政の睾丸をギュッと握った。

「あうっ!」と直政はいきなりのことに声を上げた。武藤は

「本当に怯えている者は、ここ(睾丸)が縮み上がるものです。ですが、殿の睾丸は垂れ下がったままでございます」

と言った。

この一言が直政の足のすくみをとった。

直政の奮戦はいえやっサンに認められた。

直政は上総姉崎1万石を皮切りに越前大野5万石、そして信濃松本7万石を与えられ今の松本城の原型を作った。

直政は松本城に手を加えて少しあと、京極忠高の死去をうけて出雲松江18万石を与えられた。

父親に認知してもらえなかった三男坊は、家臣たちに支えられて国持大名に出世した。