もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

小倉城

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【2009年3月17日】

明智 珠という女性について書く。

珠は「たま」と読む。

世間一般に「細川ガラシャ」と呼ばれる女性で、丹後宮津城主・細川忠興の夫人だ。

細川忠興関ヶ原のあと丹後宮津12万石から豊前小倉39万石に大幅加増された。

が、珠は夫が小倉城主になったことを知らない。

珠は関ヶ原の前に死んだからだ。

珠は明智光秀と妻木煕子との間に生まれた。

この時代は夫婦別姓だったので、この項では「細川ガラシャ」では無く「明智 珠」で通す。

珠は成長して細川忠興と結婚した。

これは、珠の父親の光秀が忠興の父親・藤孝(幽斎)と親しかったことによる。

珠と忠興はおしどり夫婦だった。ラブラブだった。

このラブラブが本能寺の変をきっかけに変わっていく。

珠の舅・藤孝が

「珠は明智の娘だから、マズい」

と言い出した。

それで忠興は珠を丹後国味土野というところに幽閉した。妻のほうでは無くて、父のほうに目が向いていたのだ。

「遊泳上手」の藤孝から見たとき、珠は嫁では無くて「危ないオンナ」なのだ。

「離縁してしまえ」

藤孝は「遊泳上手」の勘から忠興にこう言った。

忠興はこのとき離縁を決断出来なかった。

味土野の珠の身の回りの世話をしていた女性に清原いとという女性がいた。このいとが何とか忠興の気持ちをつなぎ留めたからだ。

光秀の死後、ほとぼりが冷めた頃に珠は味土野の幽閉生活から解放された。

ただ、味土野から帰って来た珠は、忠興の態度が微妙に変化したことに気付く。

「舅さまが、ああいうお方だから」

珠は藤孝が自分を「そういう目」で見ていることをよく知っていた。

そして、夫・忠興も藤孝に影響されやすいこともよく知っていた。

珠は味土野に幽閉されていた頃にキリスト教に出会った。味土野幽閉以後の珠は、こころの隙間をキリスト教を信仰することで埋めた。

そして夫・忠興が朝鮮出兵で不在の間に珠は教会で洗礼を受けた。

洗礼名は

GRATIA

ガラシャ

「神の恵み」という意味だ。

細川ガラシャ」はここで登場する。

秀吉は信長と違い、キリスト教を否定する方向で政治を執った。

本能寺の変に続き、またしても珠は立場を危うくした。

こうなると珠と忠興の関係は完全なすれ違いになる。

秀吉の死後、関ヶ原の戦いの前に石田三成が大坂にいる諸大名の妻子を人質に取ろうと軍事行動に出た。

関ヶ原に出陣前、忠興は珠に「オレは東軍に付く。もし、三成のヤツが来たら逃げろ」

と言い残して出陣した。

が、忠興はもう一方で家老・小笠原少斎に全く違う処置を言い含めていた。

「珠が足手まといになったら、迷わず殺せ」

と。

これが「遊泳上手」の血なのだろう。

細川屋敷が三成軍に包囲されると小笠原少斎は忠興の命令を忠実に実行した。

少斎は珠の胸を槍(一説に薙刀)で刺し貫いて殺害した。

そのあと少斎は屋敷中に火薬を撒いて火をかけた。

忠興はのちに焼け跡で珠の遺骨を拾った。

愛情からなのか?

外聞を気にしてなのか?

珠への愛情が残っていたから。笑われるかも知れないけど、オレはそう信じたい。

「おたまどのは気の毒なことをした」

いえやっサンは珠の死に同情した。

後宮津12万石から豊前小倉39万石への大幅加増は同情から出た。

珠は辞世を遺している。

ちりぬべき

時知りてこそ

世の中の

花も花なれ

人も人なれ