もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

名古屋城

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【2010年11月4日】

尾張藩主・徳川光友に嫁いだ千代姫は「初音の調度」で知られる。

名古屋っ子の「きんぴか上等!」の気質は徳川宗春が生まれるずっと前、「初音の調度」によって作られたのだ。

この千代姫を生んだのがお振の方という女性だった。家光将軍の「初めてのお相手」だった。

同性愛者であるうえに変態的な性癖の家光将軍はなかなか女性を抱こうとしない。しかし、それでは将軍家の血筋が絶えてしまう。

そこで春日局が一計案じた。お振を男装させて家光将軍に近づけたのだ。

家光将軍は男装によってその変態性を大いに刺激された。すぐに下半身が反応してお振を抱いた。

やがてお振は女児を出産する。それが千代姫で、千代姫は徳川光友に嫁ぎお振は「お振の方」へと出世した。

お振の方は陸奥会津若松藩蒲生家家老・岡 重政の娘として生まれた。

岡家は豊臣贔屓だった。

重政の兄・左内は直江兼続と親しく、重政本人は石田三成の娘を妻としていた。兄弟揃ってコテコテの「豊臣っ子」なのである。

これを危険に思ったのがいえやっサンだった。

陸奥会津若松60万石が親豊臣では困るのだ。

さらにいえやっサンを困らせたのが、会津藩内の権力闘争で反岡グループが敗北して蒲生家を追放されたことだ。

当時、蒲生家は若い秀行に代わり秀行の母・振姫が「ママさん社長」として権限を執行していた。強烈な「ワンマンママ」だったため、岡 重政と意見が合わないことが多かった。

この「ワンマンママ」はついに我慢出来なくなり、岡 重政のあることないことを駿府にいる父・いえやっサンに訴え出た。

いえやっサンは「この機を逃すな」と思った。理屈では無い、直感がいえやっサンにそう働きかけた。

いえやっサンは

「岡 重政、駿府に出頭するように」

と振姫を通して命じた。

あとは罪状のでっち上げ等の徳川幕府得意のやり方で岡 重政をインチキ裁判にかけて斬首にした。

これによって重政の娘・お振は会津若松にはいられなくなり、祖母とともに江戸に出た。そして、江戸で春日局の眼にとまって江戸城に上がった。

お振の母親は石田三成の娘。

三成の孫娘が徳川光友に嫁ぎ、そして三代藩主・綱誠を生んだ。

歴史とは皮肉だ。