【2010年6月2日】
「この子が男の子だったら、関白にしてやったものを…」
豊臣秀吉は隣に座っている妻・寧々に向かってこう言った。
秀吉夫婦の正面には可愛らしい少女が座っている。
この少女、名をば豪姫という。もともと前田利家の四女なのだが、子供のいない秀吉夫婦が「又左衛門、我等も親の真似事がしたい」と言って養女にもらい受けた。
豪姫は利発な女の子で、それで秀吉は「この子が男の子だったら…」と言ったのだ。
この少女に、縁談が決まる。
秀家は秀吉の猶子(准養子)で、秀吉からだいじにされていた少年だ。
この少年と豪姫を結婚させた。
秀吉としてみれば「かわいい我が子同士の結婚」という感覚だったのだろう。
豪姫には自前の家臣団がいた。岡山に入るとき、この「チーム豪姫」を連れて行った。
これが宇喜多家の内部をおかしくした。
宇喜多家は先代の直家の頃から家臣団の多くが日蓮宗に入信していた。
ところが「チーム豪姫」はほとんどがキリシタンなのだ。豪姫自身の洗礼名はマリアだ。
秀家と豪姫、本人同士は誰もが認めるおしどり夫婦だったのだが、お互いの家臣団は「信じる神様の違い」から対立した。
この対立を修復不可能にする事件が発生する。
豪姫が病に倒れたとき、秀家の家臣団は日蓮宗の僧侶に病気平癒の祈祷をさせた。が、一向に病気が治る気配が無い。
これに、「チーム豪姫」が秀家に
「日蓮宗では無くて、私たちが信じる神様に姫の病を治してもらいましょう」
と言った。
秀家は頭の中が豪姫一色だから、すぐ「うん、わかった」と言い、家臣たちに
と言った。
家臣団は
「こいつ絶対アタマおかしいよ」
と思い、家臣団のうち数人が宇喜多家を退去してしまった。
それでも秀家は豪姫を愛し続けた。
実家・前田家に帰った豪姫は兄・前田利長に
「夫への生活必需品の援助をお頼み申します」
と頭を下げた。
以後、前田家からは明治維新まで定期的に八丈島へ生活必需品の輸送が行われた。
徳川家は、これを黙認した。
この生活必需品の援助で秀家の子孫はいのちを繋ぎ、明治維新を迎えた。