【2011年10月27日】
酒井文吾。
会津藩人参方に勤務する真面目な男である。
人参方というのは、朝鮮人参を栽培して売る部署だ。朝鮮人参の栽培は三代藩主・松平正容の代から始まり、のちに会津藩の専売商品となった。
この酒井文吾が、藩主であり京都守護職である松平容保から呼び出しを受けた。文久3年のことである。
酒井文吾が京都に到着すると、容保は
「文吾、早速だが長崎へ行って足立屋仁十郎から3万両(15億円)借りて来てくれぬか」
と命じた。
文吾に命じたのにはワケがある。
文吾と足立屋は朝鮮人参の売買を通じて昵懇の間柄だった。容保は会津藩の重役クラスを行かせるよりも、文吾を行かせたほうが話がまとまると思ったのだ。
文吾は「かしこまりました」と長崎へ旅立った。
長崎に着くと足立屋仁十郎が早速宴の席を設けてくれた。
しかし、文吾が用件を切り出すと足立屋は
「2万両なら出せるけん。ばってん、3万両はよう出せんけんね」
と2万両しか貸せないと言うのだ。
文吾は困った。
君命は3万両なのだ。
2万両では君命が果たせない。
その日は、物別れに終わった。
文吾は悩んだ。取りあえず2万両だけでも受け取って容保に頭を下げるか。それとも、もうしばらく長崎に居座って足立屋に「うん、わかった」と言わせるか。
そんな中、足立屋から「長崎の商人仲間が集まる宴があるけん、文吾サンも来んしゃいね」と誘いがあったのだ。
文吾は3万両の話は別にして、今日は足立屋と楽しく過ごそうと思っていた。
が、足立屋は文吾が来るなり
「文吾サン、ここにオランダのギヤマン造りの大杯が8個あるけん、この8個の杯いっぱいいっぱい注いである酒ばじぇんぶ飲み干したら3万両貸してもよかぞ」
と言った。
文吾は、下戸である。
足立屋はそれを知っていて言っているのだ。
文吾が「足立屋さん、その言葉、信じるぞ?」と念押しすると、足立屋は「ここにおる商人たちが証人ったいね」と答えた。
酒井文吾。
下戸の文吾。
文吾は覚悟を決めると、「えいやっ!」と杯8杯全て飲み干した。
足立屋が目を丸くしていると、文吾は
「足立屋さん、約束ですよ。3万両、約束ですからね」
と言い、「やったーっ!」と叫んだ。
「やったーっ!」と叫んだあとの記憶は文吾には残っていない。
酒井文吾は数日長崎で二日酔いの看病を受けたのち、3万両を持って京都へ帰った。