【2011年9月30日】
安藤帯刀直次。
紀州藩初代付家老だ。
もとは駿府老中であった。
駿府老中は文字通り駿府城での老中職で、駿府のいえやっサンを補佐した。もちろん、江戸にも秀忠将軍を補佐する江戸老中がいて、こちらは土井利勝たちが務めた。
気骨ある三河武士だった。
駿府老中在職中、同僚たちが次々と1万石を与えられて大名になる中、直次一人が5千石のままだった。
同僚で、のちに尾張藩付家老となる成瀬正成が「大御所に『大名にしてくれ』と言えばいいだろう。少なくとも、おまえにはその権利がある」と言うと、直次は
「要らない。大名にならずとも大御所に仕えられる」
ときっぱり言い切った。
成瀬正成はそんな直次を見かねていえやっサンに
「大御所!帯刀だけ5千石のままとはあんまりですぞ!!帯刀のどこが悪いと仰せられるか!!」
と怒鳴った。
いえやっサンは「しまった!」という顔をした。
悪気は無かった。
ただ、たまたま直次に加増することを忘れていたのだ。
いえやっサンは直次に「すまん」と詫びて遠江掛川1万石を与えた。
元和5年、直次は徳川頼宣付家老として掛川から紀伊田辺3万8800石に加増・転封となった。
その2年後、徳川頼宣は幕府から謀反の容疑をかけられた。和歌山城改修工事が大規模なものだったため、謀反を疑われたのだ。
直次は
「上様(秀忠将軍)はもともと殿を嫌っていた。そこへ土井大炊頭が知恵を付けたのだろう」
と見た。
直次は釈明のため江戸へ上った。
江戸で待ち受けていたのは案の定、土井利勝だった。
利勝は
「駿府から和歌山への国替え、不満ならば不満と口でおっしゃればよい。それを、和歌山城の大規模改修などと…これでは謀反を疑われても仕方ありますまい」
と言った。
直次は
「大炊頭どの、オレはな、権現様からの命令で紀州藩の付家老になったんだ。福島左衛門大夫(福島正則)はこの手で潰せたんだろうが、紀州藩はそうはいかねえよ」
と、利勝を睨みつけた。
さらに直次は
「頼宣公は忠長公のために駿府を明け渡したのだ。そのこと忘れるなよ」
と続けた。
利勝は返す言葉が無かった。もともと駿府はいえやっサンが「頼宣に与える」としたものを、親バカの秀忠将軍が徳川忠長のために頼宣から取り上げて忠長に与えたのだ。
利勝は秀忠将軍に「紀州藩に謀反の意思無し」と報告した。