【2008年11月27日】
黒田官兵衛は長浜城に一人息子の松寿丸を置いて摂津有岡城の荒木村重に「謀反をやめるように」説得に行った。
だが、官兵衛は村重に身柄を拘束され、有岡城の土牢に幽閉された。殺害されなかったのは、村重がいずれ官兵衛を召し抱えるつもりだったからだといわれる。
この知らせを聴いた織田信長は「官兵衛は寝返った」と思った。
そして、長浜城主の羽柴藤吉郎に対し
「長浜にいる松寿丸を殺せ」
と命じた。
秀吉は困った。
この頃の秀吉は天下人になってからの秀吉とは大違いで、優しさの塊のような男だった。
「いくら御屋形様の御命令でも、子供殺すのはイヤだ」
秀吉はそう思った。
そのとき、竹中半兵衛が
「殿、私に任せて下さい」
と言った。
秀吉は「半兵衛どののことだ、きっと松寿丸を殺さないで済む方法を思いつくだろう」と松寿丸のことを半兵衛に一任した。
それから数日して、信長のもとに子供の首が届いた。半兵衛が送りつけたのだ。
これで信長は「命令通り始末した」と思い込み、それっきり何も言わなくなった。
その後、有岡城は落城。
土牢に幽閉されていた官兵衛が救出された。
その姿を見た信長は絶句した。
からだじゅう血だらけ膿だらけ。
頭髪がごっそり抜け落ちて、頭皮も血だらけ膿だらけ。
また、脚がすっかり萎えていて、官兵衛には歩行障害が残った。
信長は秀吉に出した松寿丸殺害命令を思い出した。
信長は官兵衛の姿を見て申し訳無く思った。
「オレが悪かった」そう思ったとき、秀吉が声をかけた。
「松寿丸は、生きておりまする」
「何!?」信長が聞き返すと秀吉は官兵衛が救出される少し前に病没した半兵衛に代わってタネ明かしをした。
「御屋形様に送った首は、長浜領内にて病気で死んだ子供の首でございまする。松寿丸は半兵衛が菩提山城に匿い、今は長浜におりまする」
信長は今回ばかりは命令違反を責め立てなかった。
信長は「サル!早く松寿丸を官兵衛に会わせてやれ!急げっ!!」と今度はまともな命令をした。
半兵衛が松寿丸を庇ってくれたこと、そして半兵衛が自分が救出される少し前に死んだこと、それらを聴いた官兵衛は号泣した。
この松寿丸こそ、のちの黒田長政。