【2008年11月17日】
越前福井藩主・松平光通は38歳で死んだ。
自害したのだ。
50万石の大大名が自害するというのは異常なことだ。
松平光通と正室・国姫の間には布与・市という二人の娘がいた。
ただ、二人の間には男子が生まれなかった。
50万石の大大名なのだ。跡継ぎが生まれないというのは、大問題だった。
光通にはお三という側室がいて、このお三との間には権蔵という男の子が生まれていた。
光通は初め、権蔵を跡継ぎにと考えた。側室の子であれ自分の息子であることには変わらないのだから、何の問題も無いと思ったのだ。
ところが、意外なところから光通に圧力がかかった。国姫の実家・越後高田藩からである。
高田藩主・松平光長の母親の勝姫(高田殿)が光通に圧力をかけたのだ。
「権蔵という子供は側室に生ませた子供ではないか。夫婦ともにまだ若いのに、何故早々と側室の子を跡継ぎになどと言い出すのか」
勝姫は秀忠将軍の娘で家光将軍の妹だ。
勝姫がどのくらいの気持ちでこれを言ったのかはわからないが、光通からすればこれは大きな圧力だった。
また、国姫自身にも「自分がおなかを痛めて生んだ子を福井藩主に」という気持ちがあった。
国姫にとって祖母の圧力は心強いものになった。
光通は仕方無く権蔵を相続権者から外し、家老の永見家に預けた。
それからこの夫婦は子作りを頑張った。
しかし、頑張っても頑張っても男子を授からない。
藩内には「権蔵さまでも良いではないか」という声が出始める。
国姫は権蔵容認論と妊娠出来ない我が身を呪って自害した。
国姫の自害は光通の精神に真っ黒い影を落とした。
国姫の自害を知った勝姫はワーワー泣いた。
そしてその憎しみは権蔵に向けられた。
「あの子供を殺してしまえ!」
高田藩には権蔵殺害専従班が置かれ、陰に日なたに権蔵殺害を実行しようとした。
権蔵少年は「このままでは、ボクは殺されてしまう」と親戚の越前大野藩主・松平直良のもとに逃亡し、庇護を求めた。
直良は事情を知って権蔵を庇護した。
もう権蔵は殺せない。
勝姫の怒りと憎しみは光通に向かった。
「国姫を自害させたのはおまえじゃ!」
そう言って勝姫は光通を責め続けた。
光通は耐えきれなくなった。
それはもう、思い詰めてというものでは無かった。発作的に、という表現のほうが正しいだろう。
「異母弟・昌親を次の藩主に」
こう遺言を残して光通は38歳で自害した。