【2008年4月11日】
「台無し」
「水の泡」
「ぶち壊し」
今日書く松平治郷を表現すると、上記のような悪い言葉ばかり浮かぶ。
治郷が出雲松江18万石を相続したとき、松江藩の財政は破綻していた。
これを何とかするために治郷は朝日茂保(丹波)に財政についての全権を与えた。
朝日はまず全藩士に倹約令を出し、無駄を徹底的に省いた。また、治水工事を行い農作物の収穫量を増やした。
そのうえで、年貢率を四公六民から七公三民へと大幅に引き上げた。
四公六民を五公五民にしただけで一揆が起こる時代、七公三民にすることでどれだけ朝日に罵声が浴びせられたかが想像出来る。
朝日の苦労が実って松江藩財政は建て直され、藩の金庫にはおカネが貯まるようになった。
が、これを治郷がぶち壊しにした。
茶の湯好きの治郷は藩の金庫のカネを高価な茶道具を購入するために使い果たし、ついには藩財政を赤字に逆戻りさせてしまった。
朝日の努力は「台無し」となり、藩の金庫のおカネは「水の泡」、財政改革は「ぶち壊し」となった。
朝日はきっと、
「いい加減にしろよ」
と治郷に面と向かって言いたかったに違いない。