もずの独り言・はてな版ごった煮

半蔵&もず、ごった煮の独り言です。

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

岡山城

【2012年11月9日】 池田丹波守輝録。 池田新太郎光政の三男だ。 輝録は光政から備中生坂に1万5千石を分知され、独立した大名となった。 この輝録は、ちょっと面白い人生をたどる。 初めは池田姓を名乗らず、 熊沢政倫 と名乗った。 岡山藩池田家は…

岡山城

【2012年6月5日】 元和8年8月21日。 出羽山形藩主・最上義俊、家中不統一により改易。 このときのことを、同じく出羽国の久保田藩佐竹家の家臣・梅津政景は日記に 「公方様(秀忠将軍)は最上義光・家親二代の奉公により今回の御家騒動をお許しに…

姫路城

【2012年6月6日】 寛保2年3月。 貧乏大名で有名な松平明矩が陸奥白河から播磨姫路へ国替となった。 持高は陸奥白河同様15万石。しかし、明矩の結城松平家は貧乏大名で知られていて、今回の播磨姫路への国替に際しても姫路行きの費用が捻出出来ない…

和歌山城

【2012年6月8日】 安藤直次。 初代紀伊田辺藩主で、和歌山藩主・徳川頼宣の付家老だ。 いえやっサンの家臣には口の悪いガラッパチが数人いて、この安藤直次とのちの初代備後福山藩主・水野勝成がその代表だった。 この、口の悪いガラッパチが生涯に二…

大阪城公園(大坂城)

【2012年6月14日】 「石田治部少輔め、なんちゅうことを…」 慶長5年の夏の暑い盛りの日、大坂城京橋口に晒された首を見て怒りに震える男が一人いた。 その男、名をば佐野四郎右衛門という。 京の呉服屋の主人で、早くから徳川贔屓だった。 四郎右衛…

松山城

【2012年6月15日】 中村勘助正辰。 赤穂藩書物役、家禄100石。 この男もまた、浅野長矩の刃傷事件のためにその後の人生が決定してしまった一人だ。 もとは陸奥白河藩士・三田村小太夫の息子で、播磨赤穂藩士・中村庄助の婿養子となり中村家を継い…

鶴ヶ城公園(会津若松城)

【2012年6月28日】 保科正之が会津藩主に就任したときに真っ先に実行したのが 残虐な刑罰の禁止 だった。 現代ではこれが当たり前なのだが、この当時は残虐な刑罰が行われていた。 会津藩の場合は、秀吉の「奥州仕置」のあと会津若松に入封した蒲生氏…

熊本城

【2012年6月29日】 慶長16年6月24日。 肥後熊本藩主・加藤清正死去。 享年50。 そして、清正の死後、ある一人の男性が殉死した。 その者、名をば 良甫鑑(リャン・ポカム) という。 名前からわかるように、朝鮮人である。 彼はもともと文禄の…

松山城

【2012年7月3日】 1640年(日本の寛永17年)、ポルトガル、スペインから独立。 1643年(日本の寛永20年)、ポルトガルで新王即位。 ポルトガル王、日本との通商再開を求めて使節を日本に派遣することを決める。 1645年(日本の正保2…

彦根城

【2012年8月2日】 井伊掃部頭直通。 近江彦根藩5代目の藩主である。 直通と同時代に紀州藩主・徳川吉宗がいるためその存在が霞みがちだが、吉宗に劣らない名君だ。 直通は井伊家の八男だった。 八男なので当然家を継ぐ立場には無い。 それは部屋住み…

千秋公園(秋田城)

【2012年8月27日】 佐竹右京大夫義堯。 出羽久保田(秋田)20万5800石の国持大名だ。 この国持大名に、三度目の結婚話が持ち上がる。 お相手は丹波篠山藩主・青山忠良の娘で、こちらは初婚だった。 篠山藩青山家は譜代大名の名家で、国持大名の…

松本城

【2012年8月28日】 流離貴族。 流浪する貴族のことで、室町時代後半にはこれが多く発生した。 小笠原長時。 信濃松本藩主・小笠原秀政の祖父だ。 小笠原家は信濃国守護で、鎌倉時代から続く由緒正しき家柄だ。作法の「小笠原流」はこの家から発祥して…

佐賀城

【2012年9月6日】 「また、カネのかかることを…」 肥前佐賀藩主・鍋島斉直は頭を抱え、「いい加減にしろよ」とたまりかねて口にした。 文政2年。 この年、幕府から鍋島斉直に 「上様(家斉将軍)の姫君・盛姫様と鍋島家の嫡男・貞丸どのの婚儀を申し…

大阪城公園(大坂城)

【2012年9月13日】 ある日の夜、秀吉は側近数名を集めて雑談をした。 その雑談の中で秀吉は 「オレが死んだあと、天下人になるのは誰だと思う?」 と側近たちに質問した。 側近たちはいえやっサン、前田利家、上杉景勝、毛利輝元…と大封の大名の名前…

岡山城

【2012年9月19日】 伊木忠澄。 備前岡山藩筆頭家老である。 忠澄は、同じく備前岡山藩家老・土倉家に生まれた。 側室が生んだ三男坊。そのため、初め彼は菅 助作と名乗った。土倉家では庶子は菅姓を名乗らせるためだ。 天保4年。 助作は岡山藩筆頭家…

松本城

【2012年9月24日】 元信濃松本藩士・伊藤伊左治。 飯田屋飴店の基礎を築いた人物である。 彼は何故、飴屋になったのだろう? 享保10年7月28日。 この日、伊藤伊左治をはじめとする松本藩士たちの人生を狂わせる大事件が発生する。 松本藩主・水…

大阪城公園(大坂城)

【2012年9月27日】 天正15年。 秀吉が諸将を招いて大坂城で茶会を開いたときのことだ。 参加者の一人、大谷刑部少輔吉継が点てられた茶を飲もうとした瞬間、顔から膿が茶に落ちた。 騒然となる茶会。 しかし、そこへ石田三成が進み出て吉継の顔の膿…

松江城

【2012年10月4日】 寛永10年9月24日。 出雲松江藩主・堀尾忠晴死去。 堀尾忠晴には嗣子が無かったため、堀尾家では忠晴の従兄弟・宗十郎をもって家督相続を願い出た。 が、首席老中・松平信綱の「認めない」の一言で却下。松江藩は無嗣収公とな…

熊本城

【2012年10月5日】 慶安2年12月26日。 肥後熊本藩主・細川光尚死去。享年31。 このとき、嗣子・六丸はまだ6歳だった。 「6歳の幼児に肥後一国の国主は務まるまい」 これが幕閣のほとんどの意見だった。 この当時の幕府の基本政策は 「外様な…

松山城

【2012年10月15日】 大石主税良金。 言わずと知れた大石内蔵助の息子である。 父・内蔵助は細川家へ、主税は久松松平家へお預けとなったので、この父子は泉岳寺で永遠の別れとなった。 伊予松山藩久松松平家では、初め預かった赤穂浪人たちを罪人扱…

二条城

【2012年10月15日】 慶長20年6月11日。 山城西岡藩主・古田織部正重然、切腹。 享年72。 世間一般に古田織部と呼ばれるこの男は、大坂城落城後に京都所司代に逮捕され、切腹させられた。 罪状は 一、二条城を爆破し、京都市中を焼き払おうと…

福山城

【2012年10月25日】 水野日向守勝成。 備後福山藩初代藩主である。 いえやっサンの家臣には口の悪いガラッパチが何人かいるのだが、この水野勝成と安藤直次はその代表格であった。 長久手の戦いのときのことだ。 このとき、勝成は眼にものもらいを患…

鶴ヶ城公園(会津若松城)

【2012年10月30日】 会津藩の隣に越後村松藩という、3万石の小さな藩があった。 外様の小藩で、特にこれといった名君がいただとか名家老がいただとかいう訳でも無かった。 どこの藩でもそうなのだが、幕末になると藩の中が「佐幕」と「尊皇」の二派…

唐津城

【2012年11月6日】 文化9年8月。 肥前唐津6万石を相続した水野忠邦は 「オレは必ずこの境遇から這い上がって加判之列に加わってやる」 と強く思った。 「この境遇」とは相続した唐津6万石のことで、当時の唐津藩は借金まみれの悲惨な状況だった。…

岡山城

【2012年11月9日】 池田丹波守輝録。 池田新太郎光政の三男だ。 輝録は光政から備中生坂に1万5千石を分知され、独立した大名となった。 この輝録は、ちょっと面白い人生をたどる。 初めは池田姓を名乗らず、 熊沢政倫 と名乗った。 岡山藩池田家は…

小倉城

【2012年11月20日】 松井佐渡守康之。 初め足利将軍家に仕え、のち、足利義昭の命により細川藤孝に仕えた。 康之は天文19年11月1日に生まれた。父は松井正之、母は荒川澄宣の娘である。 幼少から足利義輝に仕えるが、永禄8年、主君・義輝が松…

大阪城公園(大坂城)

【2012年11月26日】 慶長20年5月28日。 片桐東市正且元、京都の自邸にて自害。 享年60。 且元は古くからの豊臣家の家臣で、秀吉亡きあとは秀頼をよく支えた。 秀頼をよく支えたということは、いえやっサンの眼から見たとき、取り除くべき邪魔…

名古屋城

【2012年12月3日】 「付家老どの、上様は次の尾張藩主には宗武様を、と」 「あいやしばらく!尾張には分家もあり、そこに男子がおりまする」 それは緊迫したやり取りだった。 幕府の方針は七代藩主・徳川宗春を隠居謹慎処分にすることで、その方針を…

熊本城

【2012年12月3日】 弘化2年12月。 底冷えがして手がかじかむのを堪え、駕籠が通るのを待つ一人の男がいた。 男の名をば 長岡興就 という。 世間一般に長岡五郎左衛門と呼ばれるこの男は、天領・肥後天草御領組大庄屋だ。 天保3年に16歳の若さで…

鶴ヶ城公園(会津若松城)

【2012年12月19日】 まだ豊臣政権だった頃のことだ。 陸奥岩出山藩主・伊達政宗が諸大名の前で天正大判を披露したことがあった。 天正大判。 慶長大判に劣らぬ金の含有率で、「きんぴか」そのものだった。 諸大名はその珍しさに天正大判を手にとって…